花降る 花降る水辺
花散る 花散る風でそう
今朝逃がした
あの小さい蜘蛛
どうしてるだろうah
終わらないな
疲れる夜が待ってる
せめて
静かに君を妄想したいのに花降る 花降る水辺
花散る 花散る風でそう
夢を見た
あの小さい蜘蛛
君みたいだったah
蜘蛛の糸
花揺る蓮まで垂れ下がって
苦しむ僕を引っ張り上げてよ花降る 花降る水辺
花散る 花散る風で
あらゆる あらゆる技で
花びら 花びら咲かそう
「蓮の花」
歌 : サカナクション
作詞:山口一郎
作曲:山口一郎
「蓮の花」はサカナクションの2014年発売のシングル。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』をモチーフにしている。地獄に落ちた罪人カンダタが見つけたものは生前助けた蜘蛛の一本の糸………
「おかえりモネ」第6週「大人たちの青春」
安達さんの脚本はみんなに優しい。傷ついた人にも、傷ついていないように見える人にも寄り添ってくれる。
「若いあなたから見ると、余裕しゃくしゃくで生きてるように見える立派な大人も本当はジタバタもがきながら生きてるのよ。案外傷ついてるし必死なのよ」
サヤカさんの言葉が響く。挫折を味わったことのない人なんていない。「大人」と呼ばれる年になっても自分が思っていたほど「大人」じゃないことに気づいて愕然とする。
「この人の音明るい!全然影が無い」
「明るくて真っ直ぐすぎて、つまんねえって本心で思ってるでしょ。音楽やるようなやつはもっと影とか傷とか不幸とかそういうの背負ってないと本当の色気は出ない」
「正しくて明るくてポジティブで前向きであることが魅力にならない世界なんてクソです!」「影が魅力だとか不幸が色気だとか、そういう安っぽい価値観で汚さないでください」
ここ、アヤコさんの言葉にしては過激だなあと思ったけど、田中さんの視点が入っている可能性があるね。この時は離婚してなかったかもしれないけど、語っている時点では不幸を背負っているのは自分だから自虐。
「ジャズなんか分からない」ように見えたアヤコさんなのに、きちんと音を聞いて自分なりの価値観で耕治さんの音楽を肯定している。一時はプロを目指していたのに銀行印になって音楽から離れてしまっていた耕治を娘の学校のコーチにしたのもアヤコさん。
ガンを患い、別れた妻に会おうとテーブルを注文した田中さん。(そこじゃない感がすごい)困った人だけど、根は良い人。妻は来なかったけど、音楽を通じて知り合った昔なじみが来てくれた。それは田中さんにとって一筋の光明になったのかもしれない。
もっと言えば、「安っぽい不幸」を描きたくない制作陣の心の声かもしれない。震災を描くのなら、もっとエモいやり方もある。でも、「おかえりモネ」では津波を見なかった人が主人公。田中さんは末期ガンの患者だけど、わかりやすく同情を引くタイプではない。いくらでも可哀想な設定にできるのに敢えて拒否しているようにも見える。そして、及川親子は安っぽい不幸ではないことも暗示しているようで。
「僕は患者の望みより自分の治したいという欲を優先させてしまう。本質的には患者のことを考えていない」
「でも分かります。先生は私のためを思って一生懸命考えてくれる。だから患者さんのことを考えてないっていうのは違うと思います」
「おかえりモネ」は二週間ごとに演出が変わる。だから第5週と第6週は前後関係にあると見ることもできる。
「送られる人のことを考えていない」「自分勝手」な長文メールは菅波先生のことだけど、第5週冒頭のりょーちんの「(電話とかメールとか)そういうのいいや」 と対になっているように思える。他人のことを考えすぎて差し伸べられた助けを拒んでしまうりょーちん。差し伸べた手の負担になるのを恐れるように。一方、おせっかいにも見えるほどに助けてくれる菅波先生。きっと一人一人の患者にのめり込んでしまった経験から敢えて距離をとってるんだろう。
田中さんも、りょーちんも、菅波先生も、中村先生も、耕治さんも、新次さんも、どの「苦しむ僕」も救ってあげられると良いな。