「おかえりモネ」考察 モネと津波と美波
モネが「津波を見なかったこと」に拘る理由
モネの家も牡蠣や船がダメになったりしたし、仙台も被災地なんだけど、亮の被害と比べてしまって被害を被害だと言えなくなってしまっているのかな。
一方、亮は高台の学校から津波で家(母)が流されたのを見たのではないか。(未知も高台の自宅から)
だから、未知も「普通に戻れるよ」と言う姉の言葉に「お姉ちゃんは津波を(りょーちんの家が流されるのを)見なかったもんね」と言わざるを得なかったのでは。普通になんて戻れないから。
新次さんの携帯の留守電は美波さんが家から掛けたもの。そのことを踏まえると、死亡届を目の前に出されても父親を気遣う亮が理解できる。亮は母親が戻ってこないと分かっているので。当時、新次さんは船に夢中で家(美波)を見なかった。だから諦めがつかない。それは音楽に夢中で津波を見なかったモネと重なる。そして、音楽を捨てたモネと同じように船を捨てたのではないか。モネの音楽、新次さんの船、どちらも自分の好きなことを優先させた罪悪感の象徴。
津波を見なかったこと=亮や未知の悲惨な現実を見ていないことが、自ら亮や未知との線を引いてしまうことになったのかも。未知との再会時に泣けなかったあの日のモネのように。
以上がふせったーで書いたもの。今回、ブログに書こうと思ったのは、ある内容のツイートを見たから。
雅代さん(モネのおばあちゃん)を助けたのは美波さんではないか。
まさかの視点だったけど、そう考えれば合点がいくことが多い。
- 中学生の未知が認知症気味のおばあちゃんを学校まで一人で連れていけるのか。車が無いと無理なのでは。
- モネを見て泣きじゃくってたのは安心したからだけじゃない?
- 島内にいた美波さんは雅代さんが心配で車で永浦家まで迎えに行って、中学校の体育館まで送ったあと、「うちのおばあちゃんを迎えに行くわ」と位牌を取りに自宅に戻ったのでは。
- おばあちゃんを助けてと言わなければ、美波さんは自宅に戻っても避難できるがあったのかもしれない。未知の十字架。
- あのとき、音楽に夢中にならずにさっさと帰っていれば、お父さんの車でおばあちゃんが避難できたかも。モネの十字架。
- 学校に来たお母さんに「位牌なんて良いから」と止められなかった。亮の十字架。
- 船を避難させるのに夢中で電話に出られなかった。出れていれば位牌なんていらないと止められたかも。新次の十字架。
- 島にいなかったから、美波さんに子どもたちやおばあちゃんのことを任せてしまった。だから教師の仕事を辞めた。島にいられるように。アヤコの十字架。
- 百音を引き止めてしまった。島のことを見ることしかできなかった。せめてもの融資もかなわなかった。耕治の十字架。
…………重い………あまりにも重い十字架………
けど、「あのとき何もできなかった」のモネの重さが分かる気がする。「津波を見なかった」も。心を病んでしまうのも。
みーちゃんの「私がそばにいる」は恋愛?贖罪?
りょーちん登場のファーストカットで「りょーちん、さん?」とよそよそしく言ってたのも分かる。家族ぐるみの付き合いも途絶えてただろうし。
14:46地震発生。15:10留守電。15:11気仙沼に津波到達。実際には余震もあっただろうし、行動として無理だとは思うけど。
この美波さんの行動が合ってるとしたら、既往症や近所の家のことを把握することで災害時に役に立つ全国津々浦々計画とも一致するんだよね。
(追記)
- 美波さんはともかく、モネはお父さんと早くに帰っていれば、未知ひとりにおばあちゃんを任せなくても良かったのにと悔やんでそう。でも、そこは省略して語られないので、みーちゃんがひどい、モネも無神経みたいになってるのが残念すぎる。
- 亮は「漁師は風向きと天気必須だから」とモネに言っていたり、新次さんが天気図を手書きで書いていたり、お父さんの後を継ぐのもあるけど、天気のことを知りたいと思っているのかもしれないね。だとしたら、モネと亮は同じ方向を向いている。
(10/26追記)
第3週、音楽室での吹奏楽部アメパト練習を見返してみると、後ろの黒板に文字が書いてあるのを見つけた。
「魔王」の謎を解き明かそう
内容を理解して聴く
みんなの第一印象
曲について
内容について
「父親」子どもの言うことを信じていない 見えていない 声も聞こえない
「魔王」はドイツの文豪ゲーテのジングシュピール『漁師の娘』の一部として作詞された曲。
魔王がいると怯える子どもの言うことを「違うよ」「気のせい」とごまかし、聞かなかった父親が子どもを失う物語。
http://www.worldfolksong.com/sp/classical/schubert/erlking.html
これが3週の回想シーンに置かれたのは、津波のことを意味しているのではないか。
可能性は2つ。
① 未知が、おばあちゃんに逃げようと言っているのに動こうとせず、「あなただけでも逃げなさい」と言われて置いていきかけた。
② 美波さんが車で雅代さんを体育館に送り届けるが、「大丈夫」が口癖で楽観的な美波さんが「大丈夫。すぐに戻ってくるから」と位牌を取りに家に向かった。亮が止めるのも聞かずに。
どちらにせよ、重すぎる十字架なので、当たらないと良いなとは思います。
(11/13追記)
結果的には②。
だったら、りょーちんと会ってガッツポーズしたみーちゃんとか、おばあちゃんの初盆でお菓子を無邪気に食べるみーちゃんとかとは矛盾する気がするけど、それは置いといて。
何故誰もおばあちゃんの気持ちになってあげないんだろうってずっと思ってた。おばあちゃん、みーちゃんが置いて逃げたの恨んでる訳ないよ。みーちゃんが無事で良かったと思っているよ。
給食室のモネにだってそうだよ。なんで今頃来たのって思ってないよ。無事で良かったって思っているよって。
おそらく取材を進める中で、当事者ではない彼らが当事者の視点で進めるのは無理だと思ったんだろうなあ。当事者の気持ちを勝手に想像して書くのは失礼なんじゃないかって。
「他人の気持ちは分からない」「だからこそ、分かろうとして」痛みを吐き出させる。そんな思いにとらわれたドラマだったのかな。
やっぱりみーちゃんのトラウマを出すタイミング、間違えてたとしか思えないよ。モネだけじゃなくて、りょーちんにも荷物を預けてほしかった。「未来を一緒に考えること」が共に生きることなら。
ちなみに、菅波という名字は福島に多いらしい。先生は「おかえり」と言ってもらえる場所をも失ったのかもしれない。部屋にも過去を伺わせるものも無く、いつも紙袋にトランクで移動するアドレスホッパーみたいだったのもそのせいかな。部屋に洗濯機が無いのも。サンマみたいに心地よい場所を探していたのかもね。
その設定なら、先生の実家に挨拶に行かないのも分かる。モネの実家に挨拶に行ったときに、「これからはここがあなたの故郷です」って先生に言ってあげられると、サヤカさんみたいになりたいと言った言葉にも「おかえり」のテーマにも寄り添う話になったのに。先生はモネの過去も知ることができるし。
りょーちんだって義弟になるんだから、「おかえり」言ったって不思議じゃないのに。
恋愛で最後まで引っ張ったせいで、いろいろもったいないなあ。
モネちゃん、先生に「おかえり」って言ってあげられると良かったね。