beautiful world

ぼくはまた君に恋するんだろう

「わげもん〜長崎通訳異聞」第2話感想〜見えないものを見ようとして

午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった

ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい

 

二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た

始めようか 天体観測 ほうき星を探して

深い闇に飲まれないように 精一杯だった

君の震える手を 握ろうとした あの日は

 

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ

静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ

明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった

「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた

 

気が付けばいつだって ひたすら何か探している

幸せの定義とか 哀しみの置き場とか

 

生まれたら死ぬまで ずっと探している

さぁ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して

 

今まで見つけたモノは 全部覚えている

君の震える手を 握れなかった痛みも

 

知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ

暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ

そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている

「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている

 

背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった

宛名の無い手紙も 崩れる程 重なった

 

僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ

ただひとつ 今も思い出すよ

 

予報外れの雨に打たれて 泣きだしそうな

君の震える手を 握れなかった あの日を

 

見えているモノを 見落として 望遠鏡をまた担いで

静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた

そうして知った痛みが 未だに僕を支えている

「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている

 

もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで

前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ

始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも

「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている

 

歌:BUMP OF CHICKEN

作詞:藤原基央

作曲:藤原基央

 

「わげもん〜長崎通訳異聞」第二話〜消えた漂流民

脚本:宮村優子 演出:梛川善郎

 

一話が「長崎」の「光」の面だとしたら、二話は「長崎」の「影」。

そして、いまだ壮多は「長崎」を知らない。

 

「己の言葉を捨てよ」

「(通詞としての)分をわきまえよ」と先輩通詞からも諌められた森山。脱走した乗組員とは別の人間が入り込んでいるのに気づきながらもなすすべもない。アメリカ船の船長に意見を求められても言葉が出ない。オランダからの「阿蘭陀覚書」「別段風説書」に偏った情報があっても正すこともできない。

通詞として外交や流通、科学の最前線で物事を見てきた森山だからこそ辛いだろうなと思う。内田Pが現在のサラリーマンにも通じる話とトークライブで言ってたのも頷ける。

だがしかし、やはり通詞が「別段風説書」に「己の考えを入れたらおしまい」という先輩通詞の言葉はもっともだと思える。江戸の幕府に渡す情報にバイアスをかけるべきではない。国の政治、外交を判断するのは幕府であって、通詞の仕事ではないから。その気になれば悪意を持ってわざと誤訳することも可能になる。

 

壮多の父親も、そのジレンマに苦しんでいたのかもしれない。「情報」に「己の言葉」を足してしまって身を滅ぼす結果になったのかも。

何も信じないと言う神頭も、きっと若い頃は何かを信じて裏切られたんだろう。

 

そもそも、通訳にせよ翻訳にせよ、A=Bと明確に置き換えられるものではない。「I」という言葉ひとつでも、「私」なのか、「俺」なのか、「僕」なのかで全然印象が違ってくる。そこに意思が入り込む余地はある。

 

 

「In the beginning was the Word(始めに言葉ありき)」ヨハネによる福音書より

神頭の逃げた船(回想?)の板に所狭しと書かれていた聖書の一節。

解釈が難しい言葉だけど、それは置いといて、当時はキリスト教は禁じられていたはず。

高嶋さんと内田プロデューサーのトークライブによると、神頭有右生の名前の由来は

「Curse yourself(己を呪え)」。恐らく自分でつけた名前だろう。一度死んだという神頭が自分を戒めるために。そこに何があったのか。

 

 

「FUTURE(未来)」

一話では壮多とカイが心を通わせた様子が描かれた。二話では森山とマクドナルドが、より深く心を通じ合わせることができている。お互いの言葉を通じて。お互いに尊敬の念を持って。

「何がしたい?」と聞く森山にマクドナルドが答える。「ここにいたい。モリヤマに英語を教えたい。時々は散歩もしたい」

そんなマクドナルドに森山は「アメリカの船が迎えに来ました」と別れの言葉を伝える。森山の立場を理解して微笑んで受け入れるマクドナルド。

うまくいかないことが多く失意の森山にマクドナルドはアドバイスする。「モリヤマ、コトバ教える。イングリッシュ。フューチャー」「よか」「マイ・ディア。さよなら」

今はうまく行かなくても、壮多や清十郎たち若者に英語を教えることが「未来」に繋がることもあるかもしれない。森山は自分にできることをする。そして、それは壮多にも希望をもたらしてくれるのかもしれない。

 

 

(脚本で凄いと思ったこと覚書)

  • 一話で「ニヶ月に母が死にました」という壮多。ちゃんとお母さんの四十九日の法要を済ませてきたことが分かる。
  • 二話でお菓子のお使いしてる壮多。あちこちから声が掛かっても大丈夫なの、地頭の良さと耳の良さが感じられるね。
  • 一話ですれ違った男の顔を覚えているのも、砂糖を抜け荷しようとした男の顔を覚えているのも凄いよね。咄嗟に銀銭を投げた判断力もさすが。