beautiful world

ぼくはまた君に恋するんだろう

「真夜中乙女戦争」考察のようなもの

 

注:すべて私の個人的な妄想です。公式とは一切関係ありません。

 
「There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.(物事には良いも悪いも無い、考え方次第)」

 映画冒頭の教授の講義で黒板に書かれていた文章。ウィリアム・シェイクスピアハムレット』の一部分。

この講義にネットフリックス三ヶ月分の価値があるかどうかも考え方次第。

"黒服"が、"先輩"が、"私"が出した結論も、良い悪いで判断すべきものではないのかもしれない。

 

 
「Love likes shadow flies when substance love pursues(恋はまことに影法師、いくら追っても逃げていく)」

同じく講義の黒板文字。こちらもシェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の一節。今でこそ名作文学として格調高いもの(敷居も高い)とされているけど、発表当時は普通にエンターテイメントのお芝居としてみんなは楽しんでいたはず。そして、400年前も今と同じような恋の悩みを抱えていたことに驚く。

黒服→私→先輩→本命彼氏の関係性の暗示にも思える。

 

「反転する映像」

何度か"私"の世界は反転しているが、世界が変わること、常識だと思っていることがひっくり返ること、アナザーワールドであること等々が示唆されている。

 

「ちなみにこの映画は後100分で終わる」

フィクションであることを強調するセリフ。ドキュメンタリーではなく、現実とは違う世界だから楽しめることも、身につまされることもあるのではないか。

 

「未来進行形」 

"私"が家庭教師のバイトで分かりやすく教えることができなかった英文法。未来を夢見ることもできない"私"には教えられない。

 

「ループする世界」

深夜のバイト。母親からの電話。つまらない講義。やり過ごすしかない時間。

ただ、登場人物の発言や行動はやり直しの効かない一方通行なものとして描かれる。

 

「オカン」

関西弁の「お母さん」だけど、「東京タワー〜オカンと、ボクと、時々オトン」を意識されてます?

私が廉くんの芝居で一番、鳥肌が立ったのはこのシーン。声はそれなりに抑揚もあるのに顔の表情が全然変わらないのが怖かった……

裕福でも無く、早○田大学に合格する学力があるなら自宅から通える大学もいくらでもあったと思うのに、とにかく家を出たかったんだろうな、関西にいたくなかったんだろうなと思わせる説得力がある演技だった。

 

「関西弁」

同じ高校の同級生や母親と話す以外は、モノローグでさえ標準語。関西にいたときから上手く馴染んでいなかったんだと思える。

 

「チューニング」

"黒服"と出会う前にオーケストラのチューニング音が鳴り響く。"私"と共鳴しようとしているのかもしれない。

"私"、"先輩"、"黒服"の交響曲が始まるってことかも。

 

Tiktok

教授に食ってかかる"私"を撮影して、(もちろん無許可で)アップする学生。本人は必死でも他人から見ると滑稽にしか思えない。

 

「サークルの看板、貼り紙」

自転車部(弱虫ペダル)、吹奏楽部(おかえりモネ)などが見える。永瀬廉のこれまでやってきた役柄を想起させることで、パノラマワールドを描いているのかも。

 

「面接室」

アメリカの刑務所(どちらが囚人なのか)を模したというかくれんぼ同好会の面接室。コロナ対策でもおなじみのアクリル板越しの電話(?)での対話。アクリル板に"私"の顔が映るのは自分との対話でもあるから?

 

「かくれんぼ同好会」

隠れる範囲が広すぎて見つかるとは思えない。"私"は見つけてほしいひとで、"先輩"は見つけてあげたいひとだったんだなあ。

 

「ウサギの置物」

新歓パーティーで"私"から見える位置にあるのは「不思議の国のアリス」のウサギ。この話自体が「夢の中」を表しているのかも。

"私"がアジトから逃げられたり、携帯も部屋も荒らされているはずの"先輩"がバーで歌ってたり、おそらくわざと「夢」かなと思うしかない展開がある。

エンドロールの後、"私"が目覚めると狭いアパートだったってこともあり得る物語だよね。

 

吸血鬼ノスフェラトゥ

棺桶を開けてしまう男。伝染病ペストを撒き散らすネズミと吸血鬼を起こしてしまう。冒頭の"私"の想像の燃えさかる棺桶とも、自動車ともリンクしている。

 

アウトブレイク

こちらも伝染病エポラウィルスの話。一匹の猿から伝染病が次々と蔓延する。大学にも社会にも馴染めない"私"から世界が変わったように。

 

「花いちもんめ」

あの子がほしい、この子はいらないって、よく考えると残酷な遊び。このタイミングで"黒服"がアカウント(フォロワー)を消すも分かる。人を数として見ている。

 
ニーチェ

ルサンチマン」「永遠回帰」「超人」等々、「真夜中乙女戦争」を理解するのに役立ちそうな思想。

 
「先輩のノート」

自転車の修理のことを書いてることから、ブロッコリーの被害にも遭っているかもしれない、と"私"が気づく瞬間。"私"は、自分の行為の向こうに傷ついた人がいるのに気づいたのかも。

 

「衣装」

平凡な大学生だった"私"がどんどんオシャレになっていく。レイヤードスタイルなのが、いろいろな経験を積んで成長していく"私"を表しているようで。最後、"先輩"のトレンチコートの上にブルゾンを羽織る姿がスカートにも見えて、"私"が男性でも女性でもありえる人物なんだと思わせる。

アースカラーの"私"、華やかな柄物の"先輩"、ハイブランドの"黒服" 。それぞれ個性を持っていた人たちだったのに"黒服" に傾倒して「黒服」を着るようになる"常連" 。

 

(また追記するかもしれません。)