父親が電話に出なかったことで、戻る場所すら見失う亮。
三生に差し伸べられた手をモネに向ける。
「ごめんな」
「何が?」
「おれ、今日モネに変なこと言った」
「別に変なことじゃないよ、話したいなら聞くし」
「違う、そういう意味じゃない」
「分かってんでしょ」
「何でもするって思ってきたよ。りょーちんの痛みがちょっとでも消えるなら。でもこれは違う」
「私はりょーちんのこと、可哀想とか絶対に思いたくない」
「それでもいい」
「これで救われる?」
解釈はいろいろあるだろうけど、亮=被災者を一時の同情では救えない、救おうとするのは被災してない人の自己満足に過ぎない、却って被災者を苦しめることになるってことかな。
「救われる?」のは「亮?」「私?」
どちらかが一方的に負担になってしまう関係は最初はいいけど、だんだん苦しくなる。
正論をぶつけるモネと個人としての感情をぶつける亮でチグハグになってる気がする。
やっぱり悪手と言わざるを得ないような。
あと、亮に告白させたことで普通に考えると未知と結婚して義姉がモネは亮にはキツすぎると思うので、そこも道がひとつ消えたようでしんどい。(このドラマなら、四年後しれっとお付き合いしてても驚かないけど)
「ごめん。
恐ええ。こういうのほんと恐ええわ。
ごめん、おれ、そもそも誰かを好きとかそういうのもういいんだった。
だって恐ええじゃん。
死ぬほど好きで大事なやつがいるとかさ。
その人、目の前から消えたら自分がぶっ壊れる。
そんなの恐ええよ」
こんな時でもモネをフォローしようとする亮。ここで一時の情に流されないモネだから好きなのかもしれない。「死ぬほど好きで大事なやつ」って、とてつもない愛の言葉だ。
「あなたがずっと抱えてきたことを僕が正確に理解して受け止められるとは思わない」
「いまなら少しは受け止められる」
「いや、受け止めたい」
「だから何かあれば少しは頼りにしてください」
例のハグのシーンの前に、菅波先生が言うセリフ。これはモネが亮に掛けるべきだった言葉で、正しくてあたたかい。
やっぱり先生は正解を教えてくれる、そうモネは思ったのかもしれない。
モネは先生にすがりつく。
「私も(妹に)言われたんです。私は正しいけど、冷たいって」
「彼は、何でも良いから、今だけで良いから助けてくれって、私にすがったんだと思うんです。でも、応えることができなくて」
「なのに、私は先生が目の前からいなくなっちゃうのは嫌だって思ってるんです」
「すいません」
「あなたの痛みは僕には分かりません。でも、分かりたいと思っています」
この物語はモノローグを使わない。だから本来は心の中に収めておくべきことを口にしたり、言わなければならないことを言わなかったりする。
亮にできなかった、してあげたかったことを先生にしてもらう、その罪悪感が二人の間で潰れたずんだ餅のようで。
この感情は恋なのか。メンターを失うことの恐怖なのか。嬉しそうではない表情で抱きしめられるヒロイン。
この物語は、当事者を救うとはどういうことなのか、手を差し伸べるのが良いのか、寄り添うのが良いのか、寄り添うだけで良いのか、そもそも人が人を救えるのか、覚悟をこちらに問いかけてくる作品だと思っている。
………朝ドラの15分でやる内容じゃないよ。
菅波先生は何にも悪くないよ!
果耶ちゃんも悪くないよ!
私もスガモネ好きだったよ。来たるべき時が来たらお祝いしてあげたかったよ。赤飯も炊いてあげたかったよ。悲しみのオムライスじゃなくて。
ツイッターを見ていない一般視聴者がどう思っているのかは分からない。でも、りょーちんを見てきた人はやっぱり少なからずショックを受けている人が多そうな気がする。
最終的に「おかえり」を言うのが亮だとしたら、そのために亮に同情させるのか。スガモネに反発の声が出るのも折り込み済みのような。
(参考)
永瀬廉くんのインタビューを2本置いておきます。役に寄り添い、理解する人。及川亮の一番の理解者で寄り添ってくれる人。
廉くんがりょーちんで良かったと心の底から思う。
朝日新聞(無料登録で全文読めます)
https://twitter.com/asahi_housouhan/status/1433926975320576000?s=19
「おかえりモネ」公式インタビュー
https://twitter.com/asadora_nhk/status/1434003286517030913?s=19