安克昌『心の傷を癒すということ 大災害と心のケア』新増補版2020年 作品社
2020年にNHKでドラマ化もされた一冊。阪神淡路大震災で自らも被災しながら、被災者の精神的なケアを行った医師の手によるもの。
「おかえりモネ」を理解したいと読んでみたら「お祭りのような高揚感」「外の人」「同じ体験をした人しか分からない」等々、「おかえりモネ」で使われていた言葉が並んでいてびっくりした。
ただし、震災直後の「お祭り」はその後の寂しさ、孤独感とセットだし、「外の人」である「ボランティア」は横の繋がりとして、「いるだけで良い」と思える存在。「分かってくれようとする」「寄り添うこと」はありがたいことときちんと書かれている。
死別に苦しむ人に「早く悲しみから立ち直って元気になってほしい」と思う気持ちは自然なことであろう。
だが、それを願うことと、それを遺族に強いることは別である。たとえ善意の心遣いから発する励ましであっても、そのことばは遺族をむち打つことになる。
では、周囲の人たちはどうすればいいのだろう。まず、遺族の表現する考えや感情を受け入れるということではないか。
ここも新次さんのこととも読めるけど、亮だって母親を亡くしているのに誰もそのことには心を配らない。
みんながみんな自分の傷に精一杯なドラマだった気がする。
"心の傷"を見てみないふりをして、我慢して前進することではないだろう。多数派の論理で押しまくり、復興の波に乗れない"被災の当事者"でありつづけている人たちを忘れ去ることではないはずである。
世界は心的外傷に満ちている。"心の傷を癒すということ"は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。
最後にドラマ版「心の傷を癒すということ」について。
京田光広Pの補稿に演出の安達もじりさんとの会話がある。
「このドラマは何についての物語でしょうか」「愛情の物語だと思います」
桑原亮子さんの脚本のセリフも。
「心のケアって何か、わかった」
「誰も独りぼっちにさせへん、てことや」
『その後の不自由 嵐のあとを生きる人たち』上岡陽江+大嶋栄子著 医学書院 2010年
こちらは薬物・アルコール依存症の回復施設ダルクの当事者が書き記した依存症の当事者研究。
こちらにも「ニコイチ」の言葉がある。
ただし、「ニコイチ」は肯定的な言葉ではなく、相手と自分との間に境界線がないこと。人間関係が敵か味方しかない。「人との安全な距離感を練習する」と「ちょっと寂しい」感じになる。それが健全な関係。
他にも「トラウマは深く話しても楽にならないし、解決もしない」の言葉も。
→フラッシュバックや聞いた人も二次外傷を負ってしまうから。説明しているあいだは楽にならないから。
「あなたは悪くないは難しい」とも。
→自分が悪いという立場に立っていたのに、今度から立ち位置をどこにしようか分からなくなる。言葉だけがひとり歩きしてしまう。
モネが先生と離れていても平気なのは健全なのか、愛情が少ないのか、くっつきすぎて関係が壊れるのが怖いのかは分からない。けれど、先生以外に頼るひとを見つけたほうが良いとは思う。実際、問題を抱えていないときは先生のことを思い出すこともなかったし。
そして、やはり未知のトラウマ引き出しは乱暴すぎる。分断というより、未知はモネに依存していたように見えたこともあって。
『カウンセリング・幻想と現実』日本社会臨床学会編 現代書館 2000年
災害や大事件による被害を望む者はない。しかしそれを完全に避けることもまたできない。不運にも災害に見舞われてしまった時、必要なことは人々が助けあい支え合うことだ。
「おたがいさま」「おかげさまで」など、人々を結び支え合う言葉が失われ、それが「専門家による心のケアを、カウンセリングの充実を」という感覚や言葉にとって代わられた。
語る主体と語られる内容の関係は、語る主体の気持ち、態度、内面を肥大させる方向に傾き、事柄自体の事実を締め出していく。(略)状況の中で生じた「問題」が、語る主体=個人の内面における問題に焦点を絞られる結果、内省の図式を招き、個人の問題に還元されやすくなるのである。
ドラマの中でたびたび行われている問題のすり替えのヒントがこんなところにあるとは思わなかった。
立ち直りつつあったと思っていた父親が再びお酒に手を出して暴れてしまったこと、それを止められなかった自分、遠くに行ってしまったほのかな恋心を抱いていた幼なじみ。いろいろな問題を抱えていた亮を前にして、「地元に残るのが偉い訳じゃない」「UFOは来た」と問題は何の解決もしていないのに良い話としてすり替えていくところとか。
ヤングケアラーもアルコール中毒も職業選択も社会全体での問題なのに、個人の気持ちの持ちようの問題に矮小されていく。
モネの物語だから仕方ないけど、亮が3年の間に立ち直るようになったのも(魚協の皆さんに可愛がられていて居場所ができたから、未知がそばにいてくれたから)推測するほかない。
その時々で当たり障りのない(当然責任も取らない)アドバイスをくれる先生とかも。(モネが言ってほしいことを言ってくれる存在で全肯定してくれる存在だったんだな、そういう意味でモネにとってはニコイチだったんだなと今では思える。永浦夫妻も自分が言ってほしい言葉をお互いに掛け合う存在だよね)
どの立場で見るのかで全然違って見えるドラマだった。それを公式が片方だけに寄り添って「恋愛」と囃し立てること、それにお墨付きをもらった人々が他方を嘲ることが一番辛いドラマだった気がする。
誰もが当事者にも非当事者にもなり得るのに、そのことを「分断」と呼び、純粋な優しさを「おかげ麻薬」と言う、そのことその立場そのものが、私にとっては「分断」だったかもしれない。