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ぼくはまた君に恋するんだろう

「おかえりモネ」考察 浦島太郎と亀と百音

「おかえりモネ」はモデルとなる人物がいる伝記でも原作小説がある訳でもない現在を舞台にしたオリジナル作品。しかし、ベースとなる物語は存在するのではないか。それはきっと昔話の「浦島太郎」。

 

子どもたちにいじめられていた亀を助けた浦島太郎は、そのお礼に亀の背中に乗って竜宮城に連れていってもらった。竜宮城で乙姫たちと楽しく暮らしていたが、故郷の父母のことが気になって帰ろうとしたところ、乙姫に土産として玉手箱を渡されるが開けてはいけないと言われる。故郷に帰るが、家も無くなり、父母どころか知ってる人もいなくなってしまった太郎は玉手箱を開けてしまい、老人となってしまう。

 

モネは気象予報士になって"亀"島や登米を台風から救った。(←亀を助ける)

東京のテレビ局という華やかな世界で、全国放送キャスターになり、家族や友人からも祝福される。菅波先生との恋愛も上手くいきそうで恋に仕事に順調な毎日。(←竜宮城)

 

ここまでが16週。本編では(亀を助けるための)気象予報士になるまでの8週が気象予報士を目指す理由、過程が描かれている。竜宮城に行くまでの亀の背中に乗せてもらう姿を描いているとも言える。

 

でも、竜宮城=気象予報士の世界に連れて行ってくれた「亀」って誰なんだろう。

 

中学レベルの勉強から教えてくれた菅波先生?

モネは菅波先生のおかげで合格できたと思っている。菅波先生が縄跳びを教えてくれたから。だから、東京で困った時にも先生を頼る。先生は何でも知っていて、知りたいことを的確に教えてくれるから。そして、いつしか菅波先生のような冷静な考え方、生き方が良いと無意識に崇拝し、コピーのようになってしまう。行方不明になった幼なじみにも冷静に対応して。患者と医者のように。

それが「正しいけど冷たい」なんじゃないのかな。かつてのモネが先生に言って、妹に言われた言葉。

 

ただ、モネを気象予報士にしたのは菅波先生だけではない。

節目節目にりょーちんの存在がある。

そもそも及川家が地震津波の象徴。おばあちゃんの初盆で帰省したとき、「漁師は天気、必須だから」と気象予報士の参考書が難しく心が折れそうだったモネにさらりと天気のことを教えてくれた。漁師の仕事にも役に立つことも。バス停で「そういうの良いや」と助けを拒まれた後、すぐに開くのは気象予報士の参考書。正月に帰省した亀島での及川親子を見て、「気象予報士に合格したい」と決意を新たにするモネ。

 

そして、何より自分自身の努力で気象予報士になったのだから。

 

順風満帆なはずの東京という名の竜宮城でモネは菅波先生にすがりつく。先生が遠くに行ったらどうしたら良いのか分からない、と。

東京に来たばかりの頃は三ヶ月も思い出しもしなかったのに。登米を出るときも住所を知らせたりしなかったのに。

菅波"光"太郎がいなくなったら、自分がどっちに進んだら良いのか分からなくなるから?それは恋愛なの?依存では?

 

「おかえりモネ」というタイトル通り、20週からの第三部は気仙沼に帰ることが発表されている。その時に、玉手箱=成長が分かるものが用意されると思うけど、トラウマが解消されるのかな。依存からの脱却かな。

 

先述の浦島太郎には続きがある。※1

老人になった浦島太郎が悲しみにくれているとやがて鶴になる。そして、本当は亀だった乙姫と共に夫婦として仲睦まじく永遠の生を生きていく。

 

亀を助けたのにおじいちゃんになるのって酷いと思った人もいるだろう。正しいことをしたら報われるべきだって。「約束を破ってはいけない」ということを子どもたちに教えるために省かれたそうだ。

 

これまでモネの音楽から逃げた話は避けてきているが、第三部でミニFM、菅波先生のトラウマがホルン奏者ということで、気仙沼で音楽に再び向き合う展開が予想される。その時初めて、真の竜宮城=亀島だと示されるのだと思う。

その時、鶴となったモネの隣にいる亀は誰なんだろうね。※2

 

 

※1「お伽草子」より。この物語が元で鶴亀が縁起物として広まったという説もある。

 亀=乙姫=ヒロインなら、「ヒロインぶって」とすーちゃんに言われたりょーちん?

 

※2 今の気持ち的には誰でもいいです。モネが成長すれば。

 

(9/4追記)

台風の際、亀島を救ったと書いたけど、実際はモネは救ってはいないんだよね。サヤカさんが「朝岡さんの天気予報と同じ」と言っていたり、新次さんが天気図を書いていたり(たぶん龍己さんも書ける)、きっとモネがいなくても同じ結果になっている。(孫が可愛いおじいちゃんが「百音のおかげ」と言うのは当然)

 

だから本当の意味で亀島を救うのは第3部気仙沼編になってからだし、本当の意味での竜宮城も亀島。そこで「おかえり」のタイトルの意味が活きてくるんじゃないかな。

 

(9/9追記)

座り位置について

○菅波先生とモネ

・いつも斜向かいに座る。(新たな視点からの気づき。意識しないと視線は交わらない→意識しないと見えないものに気づかせてくれる存在)

・狭いソファーに二人で座る。(熱伝導。ニコイチ。端と端に座り、意外と距離がある)

 

○亮とモネ。

 ・喫茶店では向かいの席に座る。(亮の       問題に向かい合おうとしている)

 ・縁側ではモネの隣に座る亮。(モネの悩みに寄り添おうとしている。肩が触れ合いそうな距離感)

 

(9/12追記)

16週の新次と耕治の会話。

「美波は妹で姫体質」

「新次は王子様」「耕治は下僕」

これも意味不明な会話だったんだけど、未知=妹=姫=乙姫ってことかも。

ちなみに「アヤコさん=義姫」は伊達政宗の母。弟を溺愛するあまり兄政宗に毒をもったというイメージが強いけど、捏造で実際は自ら戦場に赴く行動力のある女性だったらしい。これはイメージだけで調べないのを揶揄してるのかな。

 

(9/13追記)

https://www.qkamura.or.jp/sp/kesen/blog/detail.asp?id=40151

作中にも出てきた気仙沼大島大橋の愛称は「鶴亀大橋」

上記サイトによると、気仙沼にも浦島伝説があるらしい。しかも「気仙沼(浦島という地名)に住む漁師が嵐の中で助けたお姫様を乙姫と信じて仲良く暮らした」とのこと。

 

嵐の中で助けたお姫様=初回のモネとモネ母。サヤカ姫も。

これだと「亀」=「乙姫」になる。

 

つまり、誰もが「亀」にも「乙姫」にも「浦島太郎」にもなり得るというメッセージではないか。当時者/非当事者、被災者/非被災者は簡単に割り切れるものではなくて、誰もが一瞬で逆の立場にもなるし。助ける↔助けられるは一方向ではなく、お互いに助け助けられる世の中で。

モネをいつもフォローするりょーちん。先だっての台風のときに船を安全なところに動かした新次さん。どちらも被災者の代表のようだけど、助けられるばかりではなく、人を助けている。

 

そんなことをふと思った。(間違えてるかもだけど)

 

(9/16追記です)ネタバレ含みます。

嵐で立ち往生するりょーちんの船。次週では戻ってくる。(きっとモネの指示がある)気仙沼の浦島伝説の乙姫=亮、浦島太郎=モネとなる。

初回で新次さんに嵐の中助けられたモネとモネ母。助けられた者と助けた者が、ここで対になる。

 

(10/2追記)

  • モネの部屋にあるのは熊本の民芸品「花手箱」。熊本も地震の被災地。
  • 東京編では、ゆったりふわふわした白い服ばかり着ていたけど、気仙沼では年齢的にも身の丈に合った服を着ている。羽衣を脱いできた?
  • モネのネックレス、ティファニービーンズらしいけど、東京では見えなかったよね。気仙沼で根付くことを意味している?
  • 登米の能の演目は「高砂」と「羽衣」
  • 「亀島」を襲う「竜巻」。字面がファンタジック。ヒーローは外から来るのではなく、亀島にいる人々。
  • 3週、中学校のシーンで、翌日高校の合格発表に行くモネに「明日の練習は?帰れるの?」って聞いている亮。結果、ジャズ音楽に夢中になって約束を破ってしまうモネ。
  • 昔話での定番の「約束を破る」→「報いを受ける」だとしたら、火事の煙に包まれる亀島を対岸で見ていたモネは、この時に既に玉手箱を開けていた状態。島に帰ると、大人のように手伝いをしている同級生たち。モネの知っていた島とは違ってしまっている。時の流れ方の違いを表している?

 

(10/11追記)

  • 新しい道を歩きだした新次さんが持っている苺は「けせまひめ」。

 

(11/6追記)

  • 玉手箱はサックスケース。中には卒業コンサートのチラシ。中学時代にはできなかったことを卒業して、大人になるモネ。「おかえり」「おかえりモネ」と言ってあげるみーちゃんとりょーちん。
  • 何もできなかったって言ってたのは、物理的に何もできなかったってことだったのね。みんなが精神的に不安なときに側にいてあげられなかったことがつらいのかと思ってた。「橋を渡ってきた」モネさんが牡蠣剥き始めたのは何かしらやりたかったからなのね。
  • 本気で「辛い経験を羨ましい」と思っていたとは思わなかったよ………
  • 才色兼備、家庭にも恵まれてそうな莉子に「私には何もない」って言わせるんだもんね。
  • コンセプトはアリとキリギリス?みんなが働いているときに遊んでたってこと?だからホルンさんキャスティングは石井さんだったの?
  • 感動レイプにしたくない、被災者じゃない私たちが何を言っても嘘になる。そんな誠実さから来た結論なのかもしれない。

 

(11/8追記)

 

気仙沼のイベントで制作秘話があったらしい。

新次さんが船に乗るか乗らないか、モネが気仙沼に帰るか帰らないか案があったとのこと。

そういえば、月刊テレビ誌に載っていたのとあらすじが違っていたりしたのが不思議だった。清原さんと夏木さんのインタビューで「おかえりモネ」というのは大穴の人、という話があったけど、実際は本命中の本命りょーちんだったり。

りょーちんだけが汐見湯玄関から入ったり「31522(最後は夫婦)」など小道具は匂わせというより抵抗だったのかもしれない。旧勢力と新勢力との対立も。ハッピーエンドにできなかった、というのも。

視聴者の反応を見て結末を変えることなんて連続ドラマではよくあることで悪いこととは思わない。誰と誰がくっつかないくっつくとかも些事。でも、タイトルに関わる問題にまで変えるのは…………誰のための何の物語なんだろうね。

 

先生が「利益を出してください」って言ったのはそういう意味だったのかな。売り上げのためにどちらを選ぶってこと?だとしたら「まだ利益は出てない」は………

 

いま思うと、全方位に優しくいようとしたエンディングだったんだなあ。

16週とかの伏線回収できなくて、もったいないことばかりだけど。

 

 

(11/19追記)

たまたま陰謀論の成り立ちの本を読んでたら、陰陽とかUFOとか、先生の机の本棚の反ワクチンとか見たことある単語が並んでいて目眩がしそうになった………獲る漁業より育てる牡蠣や苺に価値を置いているのも。登米の野菜中心の食事が気仙沼の魚介料理より美味しそうなのも。どこにも囚われていない山が理想郷で、古い因習のある海が厳しい現実なのも、なんだか腑に落ちた気がするよ。最初はそんな描き方じゃなかったはすだけど。

 

陰謀論ではしばしば「マスメディアを信じない」「自分の頭で考えること」が推奨される。ただ、そのために与える情報に偏りがあったりする。SNSは自分と似た考え方の人のタイムラインになりがちで、その世界が正しいと思ってしまう。いわゆるエコチェーンバー効果なんだけど。だから、同じドラマを見ていても百八十度違う意見になったりする。そんな怖さも感じられたドラマだったよ。