金城「ロードレースはチームスポーツだ。個々の力がどれだけ優れていても、絶対に勝てない。チーム全員が支えあわなければ、頂きに登ることはできない」「お前がつらくなったら、オレたちがいる。オレたちがつらそうになったら、お前が全力で助けろ」
映画「弱虫ペダル」より
「弱虫ペダル」は2020年8月14日公開の映画。この台詞は自転車部部長の金城くん(竜星涼)が坂道(永瀬廉)に向けて言った言葉。
新・信長公記は俳優永瀬廉のトレース(痕跡)もトレース(なぞる)していると感じさせてくれるドラマ。
「新・信長公記~クラスメートは戦国武将〜」その捌「鳴くまで待とう」
脚本:伊達さん 演出:豊島圭介
「皆………礼を言う」
明智の「わざと皆に考えさせたのでは?」との問いに「俺は皆を頼りたいだけだ」と言う信長。優しいのも本当だろうけど。
みんなに向かって言うなんでもないセリフだけど、言い方、間が絶妙すぎる。
「皆の心に……留めてほしいことがある」
「全員で……手を取り合え!」
「誰かの危機は誰かが手を差し伸べる」
「みな、決して一人ではない」
(竹中と黒田の肩に手をやる信長)
「そして、力は、相手をくじくために使うのではなく、自分と味方を守るために戦え」
「よいか、貴様ら。必ず全員で、この教室に帰ってくる」
「出陣だ」
ここも凄すぎる。廉くん、こんな声の出し方ができるようにいつなってたんだろう。恐怖でも力でもなく、「言葉」で皆をまとめていく信長。
裏切り者だった黒田と竹中が両脇にいるのも「一人ではない」のタイミングで肩に手をやるのも唸るくらいの説得力。
「自分」と「味方」と言うのが実に信長らしい。自分を大事にできなければ、相手も大事にできないのが分かっているんだろう。(廉くんもそうだよね)
「敵に塩を送る」
海を持たない武田領。北条などに塩を止められたのを聞いた謙信は『私は弓矢で戦うことこそ本分だと思うので、塩留めには参加しない。だから、いくらでも越後から輸入するといい。決して高値にしないよう商人にも厳命しておく』と手紙を送ったという。無償で渡すでもなく、暴利を貪るでもない。義の武将、謙信を物語る。
「変えられる」
「さだめからは逃れられない」
「それが運命か否かは、そんなの結局は後付けの話」
「信長くんたちは今、自分の意思でこうどうしています」
「自らの力で団結し、味方を信じ、知恵を出し、戦っている。正しいと思ったことをつらぬいて」
「足はまだ痛みますか?その傷は、自らの戦い方を選んだ武田くんの意思そのもの」
「道も行末もいくらでも変えられるのではないでしょうか」
「さだめなど天気予報のようなものです。雨だと言われていても晴れることもありますから」
新・信長公記のテーマのひとつが「ひとは変れる」だけど、無理やり変えるようなことは全くしないのが推せる。それぞれが自分の意思で考えて、納得して自分の道を進んでいく。
知ってか知らずか、みやびはみやびなりの戦い方で戦っている。
「花も実もある」
「花も実も兼ね備えたような勇敢な男だな、貴様は」
1570年「姉川の戦い」で織田・徳川連合軍は、浅井長政・朝倉義景の連合軍と激突する。撤退寸前まで追い込まれ敗戦の色が濃く絶望的な状況を打開するため、本多忠勝が単騎で朝倉軍の正面から突入。これを見た徳川軍が、本多忠勝を討たせてはならないと奮起、榊原康政らが側面から突撃を行ない、朝倉軍の陣形を崩すことに成功。
この戦で多大な貢献を果たした本多忠勝を、織田信長は「花も実もある武将だ」(外見ばかりでなく、中身も充実している)として褒めた史実に基づく。
……忠義、カッコ良いよ。
「居場所」
「お前、信長がどんな思いでこの策立てたか分かってんのか?」
「お前がひとりじゃないと伝えたくて、お前が加わって初めて成立する作戦作ったんやろが!」
「立て!家康!最後の一手は、お前や」
家康の居場所を無くして絶望させようとする博士の息子。その居場所を作るために、家康自らが変わることを信じる信長。家康と信長を信じて、弱々コンビなのに敵の本陣に入る秀吉と龍造寺。家康のプライドを守るため。運命に逆らえることを示すために。
自らをがんじがらめにしていた思考の象徴でもある鎖を自分の力で引きちぎる。
博士の息子に「お前は悪くない」と穏やかに伝え、逃がす家康に以前の面影はない。
家康も変わったのだ。
ペリーもジャンヌも始皇帝も無駄な戦いはしない。何のために力をつけるのか、何のために戦うのか、分かったから。
もう家康が横暴に振る舞うこともないだろう。
それなのに、旗印を家康に掲げると言う信長。穏やかな表情で受け止める家康。
旗印戦に勝ったら、総長に挑戦する権利が与えられるからか。
一話の最後の遺影は何を意味するのか。
遺影だけにイエーイなのかな……やりそう。